2009年12月06日

社会教育者辞典 成田久四郎より

中山正男(一九二〜一九六九)

 中山は自著「一軍国主義者の直言」のあとがきで「深閑たる真夜中に私は涙して、子供の寝顔をみつめることがあります。ああ戦争はいやだ。この子供達の幸せのために、平和を祈らなければならぬ。これはイズムではない。人間の本能である。私の声は、妻の声である。妻の声は、日本の女性の全部の声である。日本はいま平和の祈りの大合唱を歌いつづけている。その声はだれに、ひびけばよいのだろう」と記しています。
 かれ自ら一軍国主義者と自称するように、戦時中は昭和九年から終戦まで陸軍画報社社長として報道班員として、中国大陸や東南アジアの戦線を疾駆した勇者でした。戦争は終わりました。あまりにも戦争の犠牲の大きさに、痛哭しました。この上は余生を平和のために捧げるべく、かれはついに意を決して立ち上がりました。このとき、わずか三十四歳の若さでした。

彼は明治四十四年一月二十六日、北海道北見国サロマ湖畔の佐呂間村に生まれました。
昭和六年十一月、専修大学専門部法律科中途退学。
同十年三月、陸軍省外郭団体「陸軍画報社」の社長となり終戦と同時に解散、
同二十六年六月まで、G項該当、公職追放。
同二十五年二月東光石油株式会社取締役社長。
同二十六年十月、財団法人日本ユース・ホステル協会を創始し、副会長。
同四十年六月、会長。
同三十七年四月、学校法人大東文化大学理事。
同三十九年五月、理研映画株式会社取締役社長。
同四十一年九月、自転車道路建設促進協議会長。
同四十三年九月、財団法人自転車道等安全施設整備促進協会と改称、会長。
その他、財団法人予防医学事業中央会理事。
財団法人国際ガン体質改善研究会理事。
なお昭和三十九年四月、ユース・ホステル国際連盟よりユース・ホステル運動の功により、リヒアルトシルマンメダルを授与さる。昭和四十年八月、紺綬褒章を授与さる。昭和四十二年十一月、藍綬褒章を授与さる。没後、従四位勲三等旭日中綬章を受章した。

 さらに昭和十四年以来「脇坂部隊」「馬喰一代」「一軍国主義者の直言」「日本人ここに在り」等多くの著作をなし、映画原作「馬喰一代」はじめ十三本の作品が映画化され、その内容は父性愛、夫婦愛のものです。彼はユース・ホステルのみならず「青年の船」の生みの親であり、文筆活動など行動範囲が広かったです。そもそも日本ユース・ホステルの事始めは横山祐吉と中山によってなされました。かくして昭和二十六年十月日本ユース・ホステル協会が結成され、以来中山、横山コンビが一枚岩の如く固いものでした。ユース・ホステルの理論運営面は、横山が担当し、渉外経営面は中山が担うことになりました。このコンビは両者の長短欠落を相補いユース・ホステル運動の今日の発展を見るにいたりました。

 中山の告別式におけるユース・ホステル協会名誉会長の岸信介氏の弔辞の一節に「君は下中弥三郎先生の弟子として、アジアに深い関心をもち、世界に眼をむけてユース・ホステル運動を起こし、青年の船を提唱し、常に青年たちに希望と夢を与えてくれました。君こそは、まさしく稀にみるスケールの大きな青少年指導者でした。」とあるように、かれには限りない夢と創造性とたくましい実践力がありました。かれの親友、大宅壮一は中山の着想の斬新さとその実践力のたくましさを評して空中列車″と言いました。また中山の恩師、下中弥三郎は空想の男、夢一族″と評しました。

 ともかくも、日本のユース・ホステル運動を国内的にも、国際的にも、その理解とひろがりを見せたのは、かれのこうした人柄に負う所が大きかったです。特に一九六八年、国際ユース・ラリーと国際会議を日本で開催せしめた功績は大きいです。

 中山は、ずんぐりとした体躯、見るからに全身これ胆といった風貌、接すれば人間味にあふれ、心のぬくもりを覚えました。これは、かれの記録文学「馬喰一代」に見るが如く、幼時を父君のはげしい父性愛の中での人と成りが中山の人間像をつくり上げたのでした。常に好んで口にし筆にした「つぎに来る旅人のために」をモットーにユース・ホステル運動に、ひたすらなる情熱をかたむけた中山は、来年に迫った二十周年を待たず、昭和四十四年十月二十二日、あたら五十八歳の生涯を終わりました。

社会教育者辞典 成田久四郎より
(文章・文体は変えてあります)
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2009年09月22日

中山正男

中山正男
1911‐1969

昭和時代の小説家、実業家。明治44年1月26日生まれ。昭和8年陸軍画報社を設立、雑誌「陸軍画報」を発行。中国戦線従軍記「脇坂部隊」で知られました。戦後公職追放となり、のち新理研映画社社長、日本ユースホステル協会会長。昭和44年10月22日死去。58歳。

 中山正男氏は作家としての活動はもとより「ユースホステル」や「青年の船」運動を通じて少年の健全育成に広く貢献したばかりでなく、映画会社や出版会社の経営にも携わり、文化振興に大きく寄与された方です。

 映画「馬喰一代」は中山氏の小説を映画化したものであり、原作者、中山正男氏は、明治44年、るべしべで生を受けています。父、米市は酒と喧嘩に強い荒くれ男、馬喰仲間の親分でその一粒だねとして誕生、母は生後まもなく亡くなり、不運な子でした。父は無学でしたが、「他人に迷惑をかけず、弱い者助け真直ぐな正しい男になれ」と正男を命名しました。

 ちなみに中山正男先生の義弟が、金子智一先生です。また中山正男先生は「青年の船」の産みの親でもあります。先生は当初、日本ユースホステル協会で新船を建造する積もりでしたが無理だと分かって、佐藤栄作総理にお願いしました。1966年3月25日夜。 築地の料亭で、佐藤栄作、山岡荘八、大宅荘一、笹川良一、など20名の集まりを肝いりし、明治百年の目玉事業として持ち掛け、佐藤総理は同席していた安井謙総務長官に指示して、これが生まれ、1968に、第一回「青年の船」、が出港したといいます。
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