2010年12月15日

馬喰一代 中山正男の故郷6

馬喰一代 中山正男の故郷6

 北見市が栄え始めたのは、大正に入ってからです。まず不毛の大地が、ハッカの生産によって潤いました。そして明治44年(1911)、池田〜野付牛(北見市)の間に鉄道ができて、木材の伐採がはじまりました。それまでは、樹を伐採しても輸送手段がなかったのですが、鉄道開設によって木材産業が栄えました

 さらに大正元年(1912)11月、野付牛(北見市)〜留辺蘂間に鉄道が開通することによって、留辺蘂は急速に発展しました。そして大正4年、野付牛村から分村独立して留辺蘂町(武華村)が誕生しました。留辺蘂町は、山に囲まれた場所にあるために、豊富な森林資源に恵まれていました。森林資源の開発によって、にわか成金がつぎつぎと生まれ、木材を運ぶ馬も高値で売れるようになりました。馬喰たちに幸福な時代がやってきたのです。


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 こうして北見や留辺蘂に、どんどん富裕層が生まれたわけですが、それらの金持ちが遊ぶ場所として、留辺蘂に、ポン湯温泉やオンネ湯温泉が開発され、花街が形成されました。飯盛り女(売春婦)たちも大勢集まりました。馬喰たちは、そこで遊びまくりました。そして気に入った女を身請けして妻としました。馬喰は、人々から蛇蝎のごとく嫌われていましたから、飯盛り女(売春婦)と一緒になることも多かったそうです。

 ちなみに留辺蘂町は、人口に対して異様に呉服屋が多いところです。その理由は、それらの呉服屋の大半が、かっては置屋(芸妓の抱元・今でいうタレント所属事務所)であったと言います。留辺蘂は、そういう町でもありました。大都市・北見市から金持ちが遊びに来る場所でもありました。これは留辺蘂図書館の大林さんの指摘によってわかったことです。


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 さらに大正9年(1920)には森林軌道が敷設されました。林業が盛になると、ますます馬の需要が増えてきます。馬喰たちは大活躍することになります。中山米市は、大正10年の秋に、サロマ湖から留辺蘂に移転することを決意します。その頃の留辺蘂は、木材景気で、どんどん人口が増え、馬喰たちのビジネスチャンスも大きく広がっていたからです。また、3番目の妻「ゆき」の病気(精神病)も気になっていました。無医村の佐呂間とちがって留辺蘂なら医者がいますから。またインテリの「ゆき」にとっても町はワクワクするところであり、電気がつながっており、汽車が通っており、映画が見られるというだけで嬉しかったようです。


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 中山米市は、留辺蘂の宮下町というところに家をかまえました。土地は、二百坪くらいあるでしょうか? 決して広い土地ではありません。ここに拠点を置き、馬の売買を行っています。留辺蘂の宮下町であったのか? 統合移転前の留辺蘂小学校(特別教授場)があったのと、留辺蘂駅逓があったためだと思われます。また背後に紅葉山がそびえ、山の幸が得られるためだったからかもしれません。


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 この頃は、鉄道開設とともに木材需要がのび、急激に人口が増え、三百名ほどしかいなかった小学校の児童たちが、3年くらいで千五百にもふくれあがるといった変わりようでした。子どもたちの増加に学校の拡大がおいつかず、二部制にして交代で授業をおこなったり、消防署や映画館を間借りして、ある学年は映画館(大黒座)で授業を行ったりしました。そういう所に、中山米市・正男親子は引っ越してきたのです。

 引っ越してきた中山米市は、すぐに留辺蘂のスターになります。

 木材とハッカ景気に湧いた留辺蘂には、全国からインチキ香具師が集まってきました。彼らは、子分をつかってサクラになってもらい、
「さあ、さあ、今落としたマルイチの丸をあてたものには、金時計一個を進呈しますよ。そのかわりあたらぬものは二十円、どうだ十八金の時計が二十円とは安いもんじやないか」
と見物客と賭をします。最初は、子分のサクラが、みごと金時計をせしめてみせます。それを呼び水に善良な百姓たちを騙して金を巻き上げるわけですが、一日で何千という大金をハッカ農家の親父がすってしまいます。それに強い義憤を感じた米市は、同僚の馬喰どもとさそいあって香具師たちと一戦たたかうために現れました。

「おい、その勝負、買った」
「よしきた、さあさあ、二十両積んだ」

 米市は、十円札二枚をつきつけました。
 そして賭勝負に打って出て、みごとイカサマをみやぶりました。

「何をするんだい」
「静かに手の平を見せろ」

 イカサマがばれた瞬間、香具師のサクラたちが腹から短刀をとりだし、米市をとりかこみました。イカサマがばれるたびに、このように百姓たちを脅して泣き寝入りさせるのが、香具師の常套手段です。しかし、今回は相手が悪かった。米市は、最強の喧嘩男であり、馬喰仲間も一緒でした。

「やい、てめいら、よくも今まで汗水ながして働いた百姓どんのハッカ(この地方の代表的農産物)の金をまきあげていやがったな。もう勘弁ならねえ。俺たち馬喰にとっては、百姓どんは大事な米櫃なんだ。命にかけても護らなくてはならない御相手さまだ、さあこのへんで一切合財幕にしてやるから、どっからでもやってこい」

 一人のサクラが、群集の中に消えました。
 それは駅前の宿屋に仲間を呼びに行ったのですが、
 彼らが大勢の仲間を連れてきた頃には勝負はついていました。
 しかし、香具師たちも
「このままじゃすまさないぞ」
と、身内を総動員して反撃をしようとして全北海道に動員をかけましたが、警察は、馬喰たちの味方になって手打ちになり、インチキ香具師たちは二度と留辺蘂にやってきませんでした。米市は、香具師叩きの米と言われるようになったと言います。(馬喰一代より)

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つづく

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posted by ss at 22:59| 中山正男の故郷 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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